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東京高等裁判所 昭和45年(ネ)450号 判決

控訴人

亡篠田要次郎

訴訟承継人

篠田大四郎

外六名

代理人

荒井尚男

外一名

被控訴人

井倉三郎

代理人

棚村重信

主文

原判決を取消す。

被控訴人の請求を棄却する。

訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

事実《省略》

理由

一、被控訴人が昭和四〇年三月二六日その所有の本件土地及び本件家屋を亡篠田要次郎に対し一〇万円で売渡す契約をしたこと、右要次郎が同年四月七日右各物件につき夫々被控訴人主張のとおり所有権移転登記を経由したこと及び右要次郎が昭和四五年一二月一日死亡し控訴人等がその権利義務を承継したことはいづれも当事者間に争いがない。

二、右争いのない事実に、〈証拠〉を綜合すると、次のとおり認められる。

(一)  本件土地は、新潟県柏崎市の中心に近い住宅地に在り市道に面しているが、東側にかなり傾斜し水はけの良くない土地であり、右地上の本件家屋は数十年前に建築されたものであつて、本件売買契約当時傾きかかつており支柱が数本設けられていた。右当時右家屋には訴外入沢正紀外二名が、後記井倉徳治からその一室ないし二室を賃料いづれも一か月一、〇〇〇円で賃借し、家族と共に居住していた。

(二)  右物件はもと訴外亡井倉寅吉の所有であつたが、被控訴人はその二六才の頃同訴外人の養子となり、昭和二一年一一月四日同人の死亡によりこれが所有権を取得した(この事実は当事者間に争いがない)。

被控訴人はその一五才の頃半年余り本件家屋に居住したが、その後は引き続き東京に居住し、機械工等をして働いていたので、右物件は当初は右寅吉の管理するところであり、同人に不始末があつて後は親戚の訴外歌代誠司の管理するところであつた。右歌代は戦時中から戦後にかけて右家屋を他に賃貸し、賃料から公租公課等を支払つた残余を定期的に被控訴人に送金して来ていた。その後歌代は死亡し、被控訴人の叔父の訴外井倉徳治が右物件を管理することとなり、同人も右家屋を他に賃貸し賃料を取得していたが、辞を構えて被控訴人にこれが収支を明確にすることもせず、右両人の間柄はその後次第に疎遠になつていつた。

(三)  昭和四〇年二、三月頃当時柏崎市駅前に居住していた控訴人等先代亡篠田要次郎は右物件の存在を知つてこれを買受けようと考え、その所有者を調査したところ被控訴人であることが判明したが、その所在は判らなかつた。要次郎はその頃病気で入院中であつたため、かねて知合いの訴外若月文雄に対し、被控訴人の所在を調査すること及び同人と右物件を、代金額一〇万円位で買受けるべく交渉することを依頼した。

そこで右若月は上京し、被控訴人を訪ねあて、被控訴人に対し要次郎の右意向を伝えた。被控訴人はこれに対し考慮する旨述べて即答を避けたが、右(二)認定のような事情にあつたことから右物件について特段の関心もなかつたためこれを売渡すことに意を決し、その価額についても、本件家屋は立ぐされ同様でこわしても薪にもならないとの若月の言を、自分が右(二)認定のとおりかつて居住した当時の記憶に照らしさほど誤つていないと考えて、自ら進んで調査等をすることもなく、右一〇万円という申出額を特に安いとも思わず納得した。そうして、被控訴人はその後二度にわたり来訪した若月に対し、柏崎市における右物件の価額等について問合せることもせず、結局同人に対し要次郎に右代金額で右物件を売渡す旨の返事をした。(四)この返事を得た要次郎は、右物件の売渡証書を用意し、長男の控訴人篠田大四郎に代金一〇万円を持たせて若月と共に上京させた。右両名は、同年三月二六日被控訴人方に赴き、被控訴人に右書面を示してこれにその署名捺印を得、右と引換えに一〇万円を支払つたが、その際も被控訴人から右代金額について異存がある旨の申出はなかつた。

(五)  右物件については被控訴人のため前記相続による所有権取得登記もまだ為されていなかつたので、要次郎は自らその手続をしたうえで、右物件につき前記所有権取得登記を経由し、一方前記本件家屋の居住者と交渉して同年六月頃これが明渡を得たうえ、本件土地に土砂を入れて傾斜を直し、また本件家屋に修繕改造を施し、同年秋頃からその妻の控訴人篠田ミヨ子と共にこれに居住するに至つた。

(六)  被控訴人が上記のようにして右物件を要次郎に売渡したことは、その後前記井倉徳治の知るところとなり、同人は代金額が低廉に過ぎるとして激しく被控訴人を非難した。ここにおいて被控訴人もようやく右代金額は安きに失すると考えるに至り、弁護士と相談のうえ本訴に及んだ。かように認められ、右認定に反する証拠はない。

三、つぎに本件売買契約成立当時における右物件の価格について判断する。

原審における鑑定人竿川豊文の鑑定の結果によれば、本件家屋に賃借人がいない場合には、右当時において、本件土地の売買価格は一二〇万円、右家屋のそれは五万円を以て夫々相当とするが、右家屋に前記認定のとおり訴外入沢外二名が賃借居住している状態のままで売買するとすれば合計四六万円、四、〇〇〇円を以て相当価格とするというのである。そうして、右鑑定の結果は合理的かつ適切なものであるからこれを採用すべく、結局右当時における右物件の売買価格は四六万四、〇〇〇円を以て相当とするものと認めるべきである。

なお、〈証拠〉によれば、昭和四〇年度における固定資産税課税の為の評価額は、本件土地が五七万八、八二〇円、本件家屋が一二〇万〇、二〇〇円であることが明らかであり、また右家屋に借家人がない場合の右物件の価格が合計一二五万円であることについては当事者間に争いがないけれども、これらの事実は右認定を左右するものではない。

四、そこで以上の認定に基づき被控訴人の主張を順次判断する。

(一)  被控訴人は、まず本件売買契約は暴利行為であつて民法九〇条に違反し無効であると主張する。

右契約における代金額一〇万円は、右認定の契約当時における本件土地及び家屋の売買価格四六万四、〇〇〇円の五分の一程度に止まるから、右代金額と右物件の客観的価格との間には相当の懸隔があるものというべきである。

しかし、本件に顕われたすべての証拠によるも、右の如き懸隔を生じたのは、被控訴人の無知、軽率、無経験に因るものであり、かつ亡要次郎においてこれに乗じた結果本件売買契約が締結されたものと認めることができない。かえつて、前記認定の事実によれば、要次郎ないし同人のために交渉に当つた訴外若月は被控訴人に対し当初から代金額を一〇万円と申出ているのであり、被控訴人がこれを承引するに至つた経緯は右二(三)及び(四)のとおりであることが明らかである。そうして、当時被控訴人が経験を積んだ分別のある社会人であつたことは前記認定の諸事実及び弁論の全趣旨により明らかであるから、右の承諾は被控訴人自らの思慮と判断と打算とに基いてなされたものと認める外はない。なお、右二、(六)認定の事実はこの判断をいよいよ強固ならしめるものである。

してみれば、右契約を目して暴利行為となすことには未だ躊躇せざるを得ないから、被控訴人のこの主張は採るを得ない。

(二)  更に被控訴人は、右売買契約における被控訴人の意思表示は、その要素に錯誤があるから無効であるか、ないしは右は要次郎の詐欺によるものであるからこれを取消すと主張する。

しかし、前認定の諸事実及び右(一)に説示するところから明らかなとおり、被控訴人は自らの思慮、判断及び打算により前記代金額を決定したものであつて、そこに錯誤を容れる余地はなく、また右の決定が要次郎ないし前示若月の欺罔の結果であるともいえないのであるから、右主張もまた理由がなく採るを得ない。

五、してみれば、本件売買契約の無効ないし取消を前提とする被控訴人の本訴請求は理由がないから、これを棄却すべきものである。然るに、これと趣旨を異にし、右請求を認容した原判決は不当であるから、これを取消す外ない。

よつて、訴訟費用の負担につき民訴法九六条、八九条を適用のうえ、主文のとおり判決する。

(岡松行雄 田中良二 川上泉)

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